シーモア・バーンスタインというピアニスト、教育者の映画が日本で公開される、と、宣伝がされるようになりました。監督はなんとイーサン・コーエン!ではなくてイーサン・ホーク!2014年の映画だそうですが、日本では今年の秋。
映画の公式サイトはここ
http://www.uplink.co.jp/seymour/
すいません、私この方知りませんでした。日本ではセイモア・バーンスタインの表記で流通していたようです。Forvoに読んでもらったらシーモア、が正しい発音。まだご存命で今年89歳!アメリカで有名なピアノ教師だそうです。
さっそく本人の公式サイトでプロフィールをチェックしてみましたところ、ブライロフスキーとかナディア・ブーランジェとかジョルジュ・エネスクなどに学んだとあります。うむ、さすがに89歳というお年を考えると昔の方々の名前が並びますね。
さらに読んでいきますと、ヴィラ=ロボスのピアノ協奏曲第2番の世界初演をしている。・・・とあり、そうなの?と疑問に思いクリックを繰り返しておりましたところ、ヴィラ=ロボスに関する話題を専門にするブログにたどり着きました。The Villa-Lobos Magazineというサイトです。
そこにおもしろいことが書かれていました。長いですが引用します。シーモア・バーンスタインの自伝、Monsters and Angelsの英語版P128-129のところらしい。
当該ページ
http://villa-lobos.blogspot.jp/2012/04/second-piano-concerto.html
Rummaging through some scores, she produced the manuscript of Concerto No. 2 by Heitor Villa-Lobos, a work that the composer had written for, and dedicated to, Brailowsky. Villa-Lobos had once heard Brailowsky in Rio de Janeiro perform two concerti on the same program – the Tchaikovsky B flat minor and the Rachmaninoff C minor. He was so impressed by his playing that he decided to create another big romantic vehicle tailored to Brailowsky’s virtuosic style. It was this score, then, that Ela handed me. With a sense of awe, I turned over the front cover and saw the following inscription:
Ministerio da Educacao e Saude Conservatorio Nacional de Canto Orfeonico
Rio, 12/25/49
Cher Brailowsky,
Voila le concerto que je vous avais promis. La partition et materiel d’orchestre vous pouvez trouver a la Maison Villa-Lobos Corp., 1585 Broadway, New York.
Heureux 1950.
Bien a vous,
Villa-Lobos[Here is the Concerto that I promised you. You can find the score and orchestral parts at the Maison Villa-Lobos Corp. Happy 1950. My best to you.]
Ela explained, ‘With all of the big warhorses in my husband’s repertory, he never learned this concerto. Now, of course, he never will. Perhaps if it interests you, you might premiere it with some major orchestra. But whether you decide to study it or not, we would like you to have it.’
p. 128-129. Bernstein finally played what he termed the US premiere of the concerto with the Chicago Symphony, in 1969.
It’s interesting that the latest version of Villa-Lobos: Sua Obra (v. 1.0, 2009, Museu Villa-Lobos) makes no reference to Brailowsky. According to the listing for the 2nd Piano Concerto, the work was dedicated to the Brazilian pianist João de Souza Lima. Also listed is the actual American premiere, with Gerson Yessin and the City Symphony Orchestra at the American Museum of Natural History on February 27, 1955.
いくつかの楽譜からガサガサ探し出しされたのはヴィラ=ロボスの第2番の協奏曲の手稿だった。ブライロフスキーのために書かれ、献呈されたものだ。ヴィラ=ロボスはかつてリオ・デ・ジャネイロでブライロフスキーが2つの協奏曲を1回の公演で演奏するのを聴いた。チャイコフスキーの第1番とラフマニノフの第2番である。演奏に非常に感銘を受けたヴィラ=ロボスは、ブライロフスキーの演奏スタイルに合わせたロマンチックな作品を作ることを決めた。取り出されたのは楽譜はそのスコアだった。そして、エラ(ヴィラ=ロボス夫人)はそれを私に手渡してくれた。畏敬の念を持って最初のページをめくると、(フランス語で)次のように書かれていた。
これがお約束した協奏曲です。オーケストラのスコアとパート譜はthe Maison Villa-Lobos Corp.にあります。喜ばしい1950年に。敬具。
エラが説明してくれたが「夫はこの協奏曲を遂に演奏することはありませんでした。これからもないでしょう。もしかするとこの曲はあなたにとって興味深い作品かもしれません。どんなメジャーなオーケストラと初演してくれてもいいですよ。あなたがこの曲を弾くかどうかにかかわらず、あなたにこの楽譜は持っていてほしい。」
バーンスタインは1969年になってアメリカ初演をシカゴ交響楽団と行った。
ねもねも注:ここまでが自伝からの引用、以下はブログ筆者のコメント
興味深いことに、最新版のヴィラ=ロボス:Sua Obra(本の名前かな?)にはブライロフスキーへの言及は全くない。第2協奏曲については、アメリカ初演はガーソン・イエッシンとシティ・シンフォニー・オーケストラによって、アメリカ自然史博物館において、1955年2月27日になされた。
以上。
と、いうわけ。あれ?記録?記憶?が混濁していまね。世界初演と、本人の公式サイトには書かれていますが、自伝にはアメリカ初演とある。しかもアメリカ初演は別人がしていたんですね。10年以上前に。
多分これはなんら悪意があったわけではないのかなと思うんですよ。当時は今のように情報が世界中で繋がっていませんから、どこで何をやったかなんて判りません。またいつの間にかアメリカ初演が世界初演になっているのも、もしかすると本人としては世界初演のつもりだったのかもしれないですし。はっきりとしたことはわかりませんね。
初演するなら他でやってないかちゃんと調べろよ、って言うのは簡単ですけど、広いアメリカ大陸、しかも北アメリカと南アメリカで起こっていることを知るのは至難だったかもしれませんね。うーん。
ちなみに世界初演については、以下の記録が残っています。これはIMSLPのこの曲のページにかかれています。ヴィラ=ロボス本人が指揮してるんですねえ。
1950-4-21, Rio de Janeiro
João de Souza Lima (piano) ; Orquestra do Teatro Municipal ; Villa-Lobos (cond.)
・・・と、いうことをつらつらと考えていた今夜でした。ではおやすみなさい!でも、おもしろそうな映画ですね。見てみたい。ところで、みなさんはこの曲好きですか?そこまで好きになれないんですよね、私は。聴いたことの無い方はYouTubeへGo!
あんまり演奏もよくない・・かな?