フランス、ディアパソン誌にポゴレリチのインタビューが載っていました。le retour du roi(「王の帰還」ぐらいの意味)という大仰なタイトルがついていましたが、何を指すかというと、この近年ポゴレリチの演奏が速くなってきた事も指しているし、新しい録音がすごく久しぶりに出ることも指しているようです。
記事は・・・もちろんフランス語です。google先生に英語に直してもらって、それを読みました。もちろんある程度の誤訳はあるでしょうが、google先生はフランス語を日本語に直すよりもフランス語を英語に直す方がはるかに得意みたいだからそこまで大幅には間違っていないだろうと思う。思いたい。思わせて。
そのインタビューで面白かった点をご紹介しましょう。「あなたは楽譜をみて弾くが、それについてどう思っているのか」という質問に対するポゴレリチの答えがたいへんおもしろい。ポゴたんの回答はずばり、これだ!!
「だって忘れるじゃん。」
ずこっ。
そう、忘れるぐらいなら見て弾いた方がいい。暗譜することもパフォーマンスの一部という人もいるが、という質問に対して、いろいろ言葉を並べて表現していましたが、かいつまむと『忘れるから』なのでした。実にシンプルだ。
ヨーロッパでも、楽譜は見ないで弾くものという考えがあるのか、楽譜を見て弾く人は少数派です。現役で常に楽譜を見て弾くピアニストは誰がいますかね。ポゴレリチ以外だとムストネンがそう。あとは・・・ぱっと思い浮かびません。
しかし楽譜を見る、見ないはそこまで演奏に影響しないと思うんですよね。結局楽譜を見ても弾けない人は弾けませんし、楽譜を見てもうまく弾ける人は弾ける。これ重要です。なので、結局は本人の心の持ちようなんですよ。見たけりゃ見ればいいし、見ないほうが弾きやすいなら見ないほうがいい。
見ないと不安になるという人もいるし、見ないほうがイマジネーションが湧く、という人もいます。どっちがいいとか悪いとかいう問題ではありません。どちらかでなければならないと断罪するのが間違いなんですよ。あるコンサートで、聴衆の一人が関係者?に向かって「モーツァルトなのに楽譜を見て、けしからん!勉強不足だ、もう二度と来ない!」と吐き捨てるように行って帰ったのを見たことがありますが、まあまあ、そう固いこと言わなくても。
また現実問題として立ちはだかる壁それが、「人間は忘れる」という点です。コンピューターは忘ないが、人間は忘れる。自分は記憶力がよすぎて全てを覚えている、地獄のようだと言っていたリヒテルも忘れた。以降楽譜を見るようになった。そういうことです(どういうことだろう)。
蛇足ですが、このインタビューの中でポゴレリチはラヴェルの左手とプロコフィエフの左手を1回のコンサートで弾くっていうのありなんじゃない?と言っています。これはぜひ現実にしてもらいたいなと思いました。