ポゴレリチの、音楽に対するスタンス

ポゴレリチのFacebookページで、セルビア国営放送のインタビューに答えている動画がアップされていました。1分弱と非常に短い。でも、面白いというか、音楽の演奏に関するスタンスが垣間見える一言を言っているのでご紹介します。これです。

たぶんセルビア語で話していて、しかもにこやかに話している!ポゴレリチと言えばこないだのサントリーホール公演に村上春樹が来ていたらしいっすよ。これ。おおお、いいのか2枚目こんなぶれぶれ写真で。

話をもどして・・・。このインタビューを、私は上のインタビュー、英語の字幕を読んでいるので(つまり重訳って言われるやつっすね。精度がさらに落ちる)本当の本人の意図した意味とは異なっていたりするのかもとは思いますが、以下のような事を言っています。

「画家は、聴衆の前で自分の作品に書き足してみせたり消したりという事ができません。でも我々音楽家には書き足しや削除が許されていて、それがよりうまく行くことがある。」

ここでおおおと思うわけです。楽譜に忠実であれ、という原理主義者の人たちが顔を真っ赤にして怒りそうなコメントであります。

それにしても、楽譜に忠実っていうのはどれぐらい意味があることなのでしょうか。音楽の解釈って、服のデザインの世界に近いかなと思うんですがどうでしょうか。

つまり、過去の、男性のスーツならスーツという「お決まりのスタイル」があって、それが時代によって崩れたりかっちりしたものにもどったり、という事を繰り返しているが、やっぱり最先端は最先端で、それが10年経ったら古くさく感じる、みたいな。って書いて自分の言いたいことがおわかりいただけますでしょうか。「お決まりのスタイル」=楽譜、と読み替えてみてください。

19世紀のヴィルトゥオーゾたちが楽譜を自由に改編して演奏していた時代は過ぎ、厳格に、限りなく楽譜通りに演奏しようという時代も終わり、その反動でウルトラ過激な事をやってみた時代もまた終わり、今はなんというか、右でも左でもなく、なんとなく真ん中に近い、でもややリベラルな雰囲気でやっている、みたいな時代になっていると思うんですが皆様の意識としてはどうでしょう?今後また流行が代わっていくのでしょうね。

ところでさっきのポゴレリチのコメントには続きがあって、

「・・・ただしそれは音楽上のテキストを消すことではなくて、どういう弾き方をしない(消す)か、ということです。芸術において意味を持つのは、どのようにやっているかということだからね。」

なんだかわかったようなわからないようなコメントではありますが、ポゴレリチの演奏が今後ますます本流に帰ってくることを期待したい日々です。