フィラデルフィア管弦楽団がラフマニノフ祭りと題して3公演を今週の木金土と実施するようです。ルガンスキーとハオチェン・チャンが出演して、協奏曲5曲を二人で分け合って演奏します(+交響的舞曲)。指揮はステファン・ドゥネーヴ。
27日:第4番=ルガンスキー&第2番=ハオチェン・チャン
28日:パガニーニ変奏曲&第3番=ルガンスキー
29日:第1番=ハオチェン・チャン(+交響的舞曲)
うん、ルガンスキーが1曲多い。
最近はやりの全曲演奏ですね。オーケストラも全曲演奏をする時代になってきました。チケットの売り上げもよさそうですよ。チェックしましたところほとんど空席がありません。いいね。
ルガンスキーもハオチェン・チャンも、日本ではいまひとつ人気が出ませんが、アメリカでは人気なのでしょうね。いいね。
フィラデルフィア管弦楽団のサイトにはラフマニノフのアメリカデビューについて書いたページができていましたので読んでみました。
1909年、36才で初めてラフマニノフがアメリカに演奏旅行に来た時、初めてオーケストラと演奏したのがフィラデルフィアであると書かれています。アメリカ・デビュー公演はノーザンプトンという町での11月4日リサイタルだったようですが、その4日後の1909年11月8日。
ただし、オーケストラはフィラデルフィア管弦楽団ではなくて、事情によりボストン交響楽団。演奏したのは協奏曲第2番。
フィラデルフィア管弦楽団との共演は、同じ月の26日と27日。このときは主に指揮者として登場、チャイコフスキーの1812序曲、交響曲第2番を指揮し、自作の前奏曲3曲を演奏し(ピアノソロ)、最後にムソルグスキーのはげ山の一夜を振ったという内容。
同じ月に同じ街フィラデルフィアに複数回(2種類・計3公演)出演している。ロシアではすでに名声を相当に確立していたので、前評判も上々だったという感じなのでしょうかね。でも券売は大丈夫だったのか、つい気になってしまう。
特設ページには、当初最初のチャイコフスキーは音楽監督だったカール・ポーリヒという人が振るはずだったのが、結局ぎりぎりになってラフマニノフが振ることになった、という経緯も書かれています。
当時のプログラムが掲載されていたりするので、それだけ見ても面白いかもしれません。
ラフマニノフは最初アメリカには行きたくなかったみたいですが、大金を約束され、ちょっとお金に困っていたこともあって承諾したようです。手にしたお金で、オートモービル、車だね。を買ったそうですよ。3ヶ月もアメリカに滞在して、相当儲かったんだね。
やがてラフマニノフはロシア革命を逃れアメリカに亡命。死ぬまでそこに居住することになったので、人生なにがおこるかわからない。