(後半はこちら)
― ねもねも舎読者の皆様こんばんは。都内某所、某時間より、ねもねも舎のインタビュー第2弾をお届けいたします。今回はピアニストの山口雅敏さんにお越し頂きました。こんばんは。
こんばんは。
― 山口さんは、奥様の伊賀さんと一緒にピアノ・デュオでの活動が多いそうですが、オタク中のオタクとして知られており、世界中のピアノオタクどもと、いえ・・・ピアノオタクの皆様方と熱心にディスカッションしたり情報交換をしたりされているとか。
ええ、そうです(笑)。
― そして今回のテーマである「耳コピ」(注:音を耳で聴いてそれを楽譜に起こす作業のこと)の達人としても知られています。
いや達人だなんていうほどでもないです。好きでやっていることですし。
― いやいや、ご謙遜を!ではさっそくですが、耳コピから楽譜に起こすまでの作業を具体的に教えてください。やはり曲を何度も聴くのでしょうか、一度聴けばだいたい覚えているのでそれを鼻歌交じりに楽譜にするだけなのでしょうか。
音の数や録音状態によって耳コピの時間は変わってきますが、私は数小節単位で何度か聴いて覚えたものを、譜面に書き留めていきます。オーディオの巻き戻しボタンが壊れそうになった曲もあります(笑)。
― それはやばいですね。
私は、気合いと情熱で耳コピしていますが、偉大なピアニストたちによる“耳コピ仰天エピソード”は色々とあります。ホフマンは、ゴドフスキーの超絶編曲「こうもりパラフレーズ」を編曲者本人が練習するのを聴いて憶えたそうです。ゴドフスキーの前で未出版だったこの編曲を演奏し、びっくりさせたとか。
― やばいな。
ラフマニノフも一度聴いたら曲を完璧に演奏再現できたようですよ。また記憶した曲は何年経っても忘れることはなかった、とも、友人でもあった名ピアニストで教授のゴールデンヴァイゼルがその驚異の能力について語っています。
― うーん。
アルゲリッチがプロコフィエフの3番コンチェルトを、友人の練習を聴いているうち、寝ながら覚えたというのは有名な話ですね。友人の弾き間違えた音も覚えてしまったとか。
― やばいやばいやばい(絶句)。
ヴォロドスもホロヴィッツ編曲を、一度聴いたら覚えてしまったと語っています。世の中には、稀にモーツァルトのような超能力を持つ人が出現しますね。
― まさに超能力ですね。一般人にはどうやったらそういう事が出来るのか、逆立ちして考えてもわからないでしょう。でも、実はこういう芸当ができる人にとってみれば、出来ない人の感覚の方が「わからない」みたいですよね。
そうそう。
― これまでにだいたい何曲ぐらい耳コピしましたか。何年ぐらいでやりましたか。
最初の耳コピは、フリードリッヒ・グルダの「アリア」でしたね。グルダが日本公演で弾いた自作に魅了され、楽譜が未出版だったので耳コピしてみようと思い立ったのです。また、音大在学中は、同門の友人が未出版のホロヴィッツ編「カルメン」変奏曲の耳コピに挑戦している事に刺激を受け、私もホロヴィッツ編曲の耳コピを始めました。まだホロヴィッツ編曲の採譜の存在がほとんど知られていない時代です。
― なるほど。
ホロヴィッツは録音として確認できるだけでたぶん17曲(ただしカルメン変奏曲は複数のバージョンがあります)の編曲を行っていますが、かなりの曲を採譜しました。
― ちなみにどの曲か、教えてもらえますか?
スーザ:「星条旗よ永遠なれ」
ビゼー:「カルメン変奏曲(1947年版)」
ラフマニノフ:「ソナタ第2番」(ホロヴィッツ版)
シューベルト=タウジッヒ:「軍隊行進曲」
メンデルスゾーン:「結婚行進曲」
リスト=ブゾーニ:「メフィストワルツ第1番」
リスト:「ハンガリー狂詩曲第2番」
リスト:「ウィーンの夜会」
リスト:「波を渡る聖パウロ」
リスト:クリスマスツリーより「昔々」
バラキレフ:「イスラメイ」
「アメリカ国歌」
「イギリス国歌」
ホロヴィッツ自作曲:「変わり者の踊り」などです。
― さすがホロヴィッツ信者の山口さんですね。ホロヴィッツはクリスマスツリーも編曲しているんですか。や、私じつはホロヴィッツ大全集70枚組みだったかな?のCD持っているんですがそこに入ってたかな・・・記憶に無いな、こんど漁ってみるか・・・ぶつぶつ・・・。
ホロヴィッツ大全集をお持ちなのですね!クリスマスツリーは、グラモフォンから出ている3枚組の「マジック・オブ・ホロヴィッツ」に入っていますよ。そのほかキーシン作曲の「2つのインベンション」、ローゼンタール編のショパン=リスト「乙女の願い」、バックハウス作曲のベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」3楽章のカデンツ、グロリューによる、モーツァルト、ショパン、バッハ風でアレンジしたビートルズ曲といった珍曲も採譜しました。
― すごいですね。もっとも難しかった、あるいはやりがいのあった耳コピはなんですか。その理由と一緒に教えて下さい。
やりがいがあったという意味では、ホロヴィッツ編曲の「星条旗よ永遠なれ」です。超絶技巧の限りが盛り込まれたこの豪華絢爛な編曲の、トリオの箇所では手が3本あるように聴こえるパッセージが登場します。「一体どのようにして弾いているのか?」と聴衆たちを驚愕させていた奏法の謎を採譜することで解読できた時は、とてつもなく興奮しました。まるでマジックのタネあかしを見破っていくかのような気分にも。
- なるほど、では実際にその音をYouTubeで聴いてみましょう。3本に聞こえる部分はどこですか。
ここですね(2分16秒~)
- なんなんでしょうねこれは。ぱっと聞いた感じは、ものすごい轟音が出ているわけではないからすげえ超絶技巧っていう感じはしないんだが、よく聞けばクエスチョンマークが浮かびまくるという・・・。
人の耳を惑わす、企業秘密とも思われる技巧が、ホロヴィッツ編曲に散りばめられているので、ホロヴィッツは楽譜に書き残すことを拒み続けたのかもしれません。オクターブや重音の連続と聴こえる箇所も、実は人の耳には分からない程度で音を抜き弾き易くしていたり。それらは、「なるべく最小の努力で最大限の効果を生み出す」という、創意工夫に満ちた技法です。
― あ、ここには真実があるとおもうんですよ。最小の努力で最大限の効果、つまり効率を追い求める、ということですよね。これは現代のビジネスにもあてはまりますね。最小の負荷で効率よく仕事をしたいですね。・・・話がずれました。続きお願いします。
また、ホロヴィッツは、倍音を巧みに操作して響かせているので、音の大洪水となる箇所では、実際に弾いている音と共鳴している音との選別に慎重になります。
― なるほど。
ホロヴィッツの編曲技法は、リストやタールベルク、ラフマニノフといった巨人たちが編み出した超絶技巧曲の金字塔とも言えます。ですので、多くのピアニストがホロヴィッツ編曲の魔力に惹かれて弾きたくなるのではないでしょうか。
ヴォロドス、スルタノフ、ユジャ・ワン、ラン・ラン、キーシンといった超絶ピアニストもホロヴィッツ編曲を演奏していますね。耳コピをすることで、魔術師ホロヴィッツの一端に触れることができました。
― ただ聴いて仰天しているだけの我々とはやはり違う。やはり山口さんは、なんというかこう、一歩も二歩も・・・いえ百歩先をいっておられる気がしました。
ホロヴィッツの編曲については、論文で考察していますので、ご興味ありましたらこちらで観覧ください。http://ci.nii.ac.jp/naid/110009673396
― うおーすごい。あとでお家に帰ったら読んでおきます。さて次の話題に移ります。山口さんの耳コピ楽譜が勝手に使われていたとのことですが、
注:ここをご参照
― 誰がどういう経路でゲットして使用するに至ったのでしょうか思い当たる節がありますか。
YouTubeでホロヴィッツの演奏と共に私の採譜が公開されているのを目にした時にはびっくりしました。「あっ!僕の楽譜やん!」と(笑)。
― 私も山口さんのコメントを見てそうなのか、と知りました。蛇足ですがあのコメントがあったからこのインタビューを申し込んだのですがね!いやはや、このときから活字になるまでに大変な時間がかかってしまいました!
ありがとうございます。そういえば、アメリカの楽譜販売サイトで、知らぬ間に販売されていたこともありましたね。
― それは商魂たくましいというか、著作権とかにうるさそうなアメリカの人がそういう事をするというのも驚きです。あ、別に販売しているのはアメリカ人とは限りませんね。でもどうしてその人は山口さんのゲットしたのでしょうか。
楽譜流出の思い当たる節としては・・・・・その昔にある超絶系ピアノサイトで、一部の方々向けに私の採譜をダウンロードできるようにしていたので、入手された方を通じて拡散したのでしょう。YouTubeで海外の方が私の採譜を使って演奏している映像をいくつか見つけることができます。
― なるほど・・・。
現在は楽譜の公開をしていません。
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