ハンヌ・リントゥをご存じですか。フィンランド放送響と来日したり、都響とかにも客演していますね。私は一度だけ、たまたまですがお会いしてお話させていただいた機会があります。お猿さんみたいな顔をしていて、とても頭の回転が速くて、口も達者で、だが物腰もやわらかく、さすが世界で活躍する指揮者だなと思ったことを覚えています。
指揮者というのは、ともかく弁が立たないといけないし、口さがない聴衆からは批判にさらされるし、陰湿なオーケストラ奏者たちから陰口をたたかれるし、世界中を飛び回る体力もいるし、ものすごくストレスの多い職業だと思います。あらゆるネガティブな要素を弾き飛ばす精神力と体力を持っていないといけません。世界で活躍する指揮者たちはというのは、冗談抜きで超人だと言ってよい。
さてリントゥ。この人は大きなコンクールでの指揮も何回かしたことがあるようなのですが、その時の経験から感じたことを語っています。主にヴァイオリンコンクールでの経験を語っていますが、ピアノのコンクールにも通じるものがあるでしょう。面白かったので一部ご紹介します。ピアニストを目指す若い人の参考になれば幸いです。
それは、だいたいのコンクールでファイナルに来る協奏曲の演奏についてなのですが、コンクールのファイナルでよい成績を出すには、オーケストラとコミュニケーションをとる能力に長けていることがほぼ絶対、ということだそうです。
…all winners have one thing in common: they understand that a concerto performance is something that is done together.
すべての入賞者は、協奏曲というのは一緒に演奏するものだということを理解している。
Everybody needs to be communicative, both musically and socially.
参加者はコミュニケーション能力に長けている必要がある。音楽的に、そして社交上の意味合いでも。
In competitions, the orchestras and conductors always want to help. If my interpretation differs from a soloist’s, I’ll try to keep my mouth shut and do my best. When the competitors really want to be free with their interpretations, it isn’t always possible to do what they want: many are used to playing with pianists who can follow every detail, but the orchestra is a heavier instrument, and there are things that cannot be followed instantly.
コンクールでは、オーケストラも指揮者も(参加者を)助けたいと思っている。私も、たとえ解釈が違ったとしても、できるだけソリストに合わせようとする。口を閉じてベストを尽くす。でも、本当に自由な解釈で演奏しようとしても、できないこともある。ピアニストが伴奏者なら、とても細かいところまでソリストについて行くことができる。しかしオーケストラはもっと重たい楽器で、ソリストの動きに敏感についていけるわけではない。
ストラド誌より
オーケストラはピアノよりも重たい楽器、という表現、わかりやすくていいですね。
ピアニストというのはどうしても一人で練習する=部屋にこもりがちで、コミュニケーション能力がなかなか磨けないかもしれません。しかしピアニストだからって、閉じこもってばかりいていいわけではない、ということです。