サンフランシスコ交響楽団がブラボー絶叫者を募集

ギャグですから本気にしないでください。先日は、ギャグの難しさについて書きましたけれど、

ユジャ・ワンがまた炎上気味な件

それでは以下のようなギャグは世界共通でオッケー、なのでしょうか。どうなのでしょう。よくわかりませんけれど、以下は一昨日目にしたギャグです。すなわち、“サンフランシスコ交響楽団はアシスタント・プリンシパル「ブラボー」絶叫者を募集”というネタ。

なんとなくそれっぽく作られているので、頭のお固い方はついうっかり、そういうポジションもあるのかね、と思ってしまう・・・わけないやんけ!!(本気にした人がいたらごめんなさい)

マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団は、アシスタント・プリンシパル「ブラボー」絶叫者のオーディションを行います。本当にムカつく聴衆だけがこのオーディションに参加できます。初見歌唱数曲および実際にコンサートを破壊する行為も必要となります。

オーディション審議委員会は、このオーディションのレベルに達していない応募者を解任する権利を持ちます。

クラシック音楽って、やっぱり初心者にはやさしくないかなと思います。クラシック音楽は難しくない!とか、敷居は高くない!っていう意見もしょっちゅう目にしますけれど、こういうギャグが世の中に出回ってそれに対してみんながうわーっとコメントしている一件だけを見ても、やっぱ敷居は低くはないのと違いますか、と思ってしまいます。

このギャグがわからない方のために説明いたします。「ブラボーの絶叫、というか、曲が終わるか終わらないかに繰り出される、明らかに早すぎるブラボーの絶叫をする人がコンサート会場には時々(しょっちゅう)現れて、それらを聞かされる多くのその他の聴衆はそれに対して好意的に思うどころか、割と明確にむかむかしている。なのでぜひお控えください。」ってことを表現したいギャグなわけです。

これは、早すぎるブラボーとそれにいらいらしている聴衆が多数いる、という前提が共有されていて初めてはははと笑えるギャグなわけです。「レベルが高いと思っているが実はレベルが低い聴衆を、『ほんとうの意味で』レベルの高い聴衆が嘲笑する」という高度な図式なわけです。

いや、これが高度なのかどうなのかっていうのはともかく、例えばブラボーっていうのをそもそもやめにすればいいのかなと思いますけどどうですか。ブラボーっていう言葉があるから、それを叫びたくてしょうがなくなるのではないか。ある人は誰よりも早く、ブラボーって言って、自分の存在をアッピールしたくなるのと違いますか。

ポップスのコンサートやスポーツのようにキャーキャーワーワー叫べばいいじゃないか。それが浸透して来てブラボーなんて言葉が時代遅れになれば、いち早くブラボーっていいたくなる、という心理も無効化・・・されませんかね無理かな。

ブラヴィー(複数の人に向かって言うのが正解)、とかブラーヴァ(女性に向かって言うのが正解)って叫ぶ人もいますけど、あれにも自己顕示欲が見え隠れしてるように思うけれど、言葉がなくなればそういうのもなくなります。と、思うのは、これを書いている自分の方にこそ自己顕示欲が見え隠れしてるかもしれない。って書いているその心理にも自己顕示欲が見え隠れして・・・・うむ、これは誰も逃れられない多重構造なのだ!!

・・・・っていうわけで今日のブログはすべてギャグですのでどうぞ本気になさらないよう。