グレン・グールドはアシュケナージにとってアイドルなんですよ。グールドのことが大好きなアシュケナージ。グールドはファンタスティックマンだったと連発しています。短い動画なんですが、以下、御覧ください。
・アシュケナージがトロントで演奏をした際、グールドとランチしたという話、不思議ですね。グールドってランチを食べるような人だったのですね。何を食べたかについては語られませんが、グールドの食に対する嗜好はまだその頃にはなかったのかもしれない(グールドはありえない超偏食というかほとんど食べない人だったので有名)。
・グールドに電話をかけた、とアシュケナージはさらりと言っているが、どうやって電話番号をゲットしたんでしょう。音楽事務所からつてをたどっていったんでしょうか、あるいはトロントの公演の主催者とかからたどったのか。不思議。まあ狭い世界ですしどうとでもなるんでしょうね。
・トロントでの出来事がアシュケナージのイギリス亡命前だったのなら、他人との接触は難しかったのではないかとも思うんですよ。グールドって1964年3月28日が最後のコンサートなので、亡命前の可能性が高いのでは(あくまで想像)。「演奏旅行を楽しんでいるように見えた」とアシュケナージも語っていますから、ドロップアウト直前の頃とは考えにくい(あくまでも想像)。だとすればピアニスト同士とは言え、ソ連人が外国で、気軽に他人とランチをする自由はあったということでしょうか。
ちなみに・・・
●グールドがモスクワでコンサートを行ったのは1957年。第二次世界大戦後初の、アメリカ大陸からのピアニストによるコンサートだったとか。その時のおそらく初日の実況録音はメロディアからリリースされています(なんとトークつきコンサートなんですよ。英語でグールドが話し、だれかがロシア語に訳している、そのたぶん全てが録音されている)。これです。
http://ml.naxos.jp/album/MELCD1001606
●アシュケナージがショパンコンクールで2位に入ったのが1955年。エリザベート国際で優勝したのは1956年。チャイコフスキーで優勝したのは1962年。イギリスに亡命したのは1963年。つまりグールドがモスクワに来た頃すでにアシュケナージは十代の天才青年としてソ連で名声を確立していた(アシュケナージは1937年生まれ)。
アシュケナージにとってグールドはアイドルですが、グールドはアシュケナージのことをどれ程度認識していたんでしょうね。それにしても上の動画でグールドについて生き生きと話すアシュケナージ、かわいいス。