調律師が減っている理由

どうしてピアノの調律師が減っているのでしょうか。それは一般家庭からピアノが消えているのと深い関係があります。ピアノを習う子どもの割合はさほど低くなっていないかもしれないけれど、電子ピアノで習っている子の率は高いでしょう。電子ピアノに、調律は不要。

ピアノは、重い、高価、大きい、うるさい。高度成長期はみんなそんな事を気にしなかったかもしれないが、いまピアノが欲しいと思う人は、上の4点を考え購入を躊躇する。アパートやマンションでピアノを弾かれたら近所迷惑。迷惑と思われるぐらいなら電子ピアノを買う。

ねもねも舎のブログ担当も、10年ぐらい前にほんの少しの間だけ子どもを何人か教えたことあるけど、その時点でも自宅にアップライトピアノがあるおうち、そんなに多くなかったですもん。電子ピアノだよ電子ピアノ。

そもそも子どもをピアニストにしたい、なんていう家庭は限りなく減っていて、おけいこごととして、楽譜が読めるようになってほしい、程度の考えでやっておられる家庭が多いと思います。それなら近所迷惑にならない電子ピアノで十分だよね。とまあそういうことになります。

そんなわけで、調律という仕事自体が、需要を落としている。なので調律師を目指す若者も絶対数が減る。というわけで、コンサート調律師を目指す若者の絶対数も減る。そういう流れです。

しかしその一方で、世の中で開催されているコンサートの数は減るどころか、横ばいかむしろ増えている。そう、コンサート調律の需要はまだまだあるのである。そして家庭では電子ピアノに取って代わられていますが、コンサートが全て電子ピアノになる日は、ない、とは言い切れないが、あったとしてもまだだいぶ先でしょう。

この現状に対して、いま最前線で働いているコンサート調律師は40~50年前のピアノブーム期に仕事を始めた人たちが多く、多くの人が60~70代。真面目に10年ぐらいしたらトップ技術者の多くが引退し、もしもその技術の継承がうまく行われないとなると、コンサート調律の質が落ちる。がたがたに落ちる。これは大変杞憂すべきものだと感じます。

調律や調律師に少しでも関心のある若い人は、家庭を回る「ピアノ調律師」ではなく、ぜひ最初から「コンサート調律師」を目指して下さい。この両者は似ているようでやっていることも駆使する技術もかなり(全く)違う。

コンサート調律師として一人前になるには時間もかかるし、それまではつらい思いをすることも多々あると思いますが、一人前として自立した時以降得られる深い満足感と責任感は、かけがいのないものです。

こっそりお伝えしますが、人が不足するかもしれない今こそが、「コンサート調律師」志望の人にとって大きなチャンスの時ですよ。いきなりトップレベルの現場に放り込んでもらえる可能性もあるから(もちろん先輩がサポートします)。調律は経験がめちゃくちゃ大事です。「事件は現場で起こる」。現場に出てありとあらゆる経験しもみくちゃにされることで、腕は急速にあがる。そこに志と意志の力があれば、みるみる上達できる。

そして・・・そこにほんの少しでもセンスがあれば、トップコンサート調律師と呼ばれるようになれる日も遠くはないかもしれない。エジソンは、99%の努力と1%のひらめきと言った。それは調律の世界にも通じるものです。