ギトリスが語る。テクニックとは。教育とは。

イヴリー・ギトリス(95歳でいまだに現役、怪物ヴァイオリニスト)の90歳の時のインタビュー記事を読みました。ギトリスは、子どものなかにあるものを引き出すのが本当の教育だ、テクニックのレッスンはしたくない、というようなことを言っています。

教育とかレッスンとかって、答えがなくて難しい問題ですね。話が逸れるようですが、私が大学生の頃、とある有名な教授のことについて「あの教授は教えるのは上手ではない、でも名声があるからみんな習いに来るんだよ」という噂話を生徒たちがしているのを聞いたことがあります。

著名な演奏家だったその教授のところには黙っていても上手な生徒が集まってくる。だから特に教え上手でなくともうまい生徒がいる、という状態になっている。そうすると、ますますその教授のところに「習いたい」とやってくる子が増える、ひたすらこの連鎖だというのです。

つまり、教えるのが上手じゃない人でも、優秀な生徒たちのおかげで勝手に名教師になれる。というもの。

またそれとは別の話で、「詰め込み教育は悪だという人もいるが、本当に優秀な子はごく一握りで、ある程度の能力しかない子には詰め込み教育の方が遙かに有効だ。結局は技術の高いこの方がいい点をとれるから技術を徹底的に教える」と言うピアノの先生にも出会ったことがあります。

さあさあ、こういうのって一体どうなのでしょうね!!

いや、そもそも教育ってなんでしょう。どうやったらもっと生徒がうまくなるんでしょう。どう教えたら生徒はうまくなってくれるんでしょう。結局のところ特効薬はなくて、すべてその場その場で、自分の頭で考えないといけない、ということになるんでしょうけれども。

以下、そのギトリスのインタビューの中で、ギトリスが技術とか教育とかについて語っているところが、もしかすると皆様にとって考えるヒントのひとつになるかもしれません。

In masterclasses, I try to make students understand that they shouldn’t only be motivated by perfect technique. It sounds like a cliché to say music is the most important thing – it’s so obvious. Technique should be about gaining the ability to play what you are feeling and what you want to give, to create a situation where when you play, you forget about your work. If someone comes to me after a concert and says, ‘You must have practised a lot,’ it means I must have played badly.

私は生徒達に、完璧なテクニックだけが目標では無い、という事を理解させようとする。また音楽(とか音楽性とか)が大事だともいうけれど、それはあまりにも当たり前のことだ。

技術は、あなたが伝えたいこと、あなたが感じることを聴衆に与える能力のことだ。演奏する時には練習でやってきたことはすべて忘れないといけない。もしもコンサートの後に誰かがあなたのところにやってきて「とても練習されたんですね」と言ったらそれは演奏が悪かったということだ。

「とても練習されたんですね」と言ったらそれは演奏が悪かったと言うことだ。

これってなんかわかるような気がする。うん。続きます・・・。

Everyone has talent – all children are gifted in one way or another, until they are educated. Education has become an industry and it leads towards dislocation. I remember talking with Nathan Milstein, who was a good friend. He was an Auer pupil and told me that Auer never talked about anything technical. Maybe that’s the best way to teach – to bring out what is inside the pupil, not to say, ‘That’s the way to do it.’ I don’t like the word ‘teaching’ – it’s pretentious. I don’t consider myself so grand to assume that I can teach you what to do.

才能は誰もが持っている。子ども達はみな、なにかに秀でているものだ、ただしそれは教育を受けるまでの話だ。教育は一つの産業になっていて、子ども達を間違った方向に導いている。ミルシテインは(レオポルト・)アウアーの弟子だったが、アウアーは決してテクニックの事を話さなかったそうだ。それこそが最高の教育だと思う。生徒の中にあるものを引き出すこと。「こうしなさい」と言うのではない。私は教育という言葉は嫌いだね。高慢だ。何をすべきか他人に教えられるような大した人間とは自分自身について思えないからね。

http://www.elbowmusic.org/single-post/2015/08/25/Happy-Birthday-Ivry-Gitlis